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9/09/2023

ブラックタウンの歴史 Native Institution

記録として残るオーストラリアの歴史には現在まで続く原住民との関りがあります。

その歴史のひとつに今回紹介するNative Institutionがあり、先日紹介したLand Grantの話に出てくるColebeeの家族もそれに関係しています。


 Blacktown Native Institution 

Wikipedia - The taking of the children

9/01/2023

ブラックタウンの歴史 Land Grant

ブラックタウンはNSW州では二番目にオーストラリア先住民が多く住む町です。

ブラックタウンとアボリジナル・オーストラリア人には特別な歴史背景があり、今回はその中でも大事な出来事のひとつをご紹介します。


 ランド・グラント(土地の譲渡) 


ヨーロッパからの入植の歴史以前、ブラックタウンを含めた西シドニーは多くのアボリジナル部族が点在して住む土地でした。その中のダルグ族はブラックタウン周辺を中心に季節に応じて西シドニー内を移動しながら住んでいました。

1788年にヨーロッパからの入植がはじまり、ブラックタウン・エリアにも主に農業の開拓として人が移り住むことになります。

その過程の中で先住民のダルグ族は土地を追われることになり、新しい入植者たちと争いが起こりました。しかし、先進的な武器を持つ新しい入植者たちに押され、また彼らが持ち込んだ流行り病(はしかや天然痘など)の病気により先住民たちは弱体化しました。

ここで「争い」の一つのエピソードを紹介します。

ヨーロッパからの入植者が来て以降、アボリジナルの人たちの伝統的な食べ物が不足していきます。天候によるものか、開拓によるものか、彼らの食糧不足の原因はわかりませんが、結果として入植者が作った作物をアボリジナルの人たちが代わりの食べ物として採取しだしたそうです。アボリジナルの人からすれば自然にある食べ物なので、「採取」という行為でしたが、入植者にすればやっと育てた作物を「盗まれた」と思い、銃器を使った報復が実行され「争い」に進展したそうです。

 

1816年、Major General Lachlan Macquarie(マッコーリー総督)は反抗する先住民を懲罰するため遠征隊を構成しました。その際、多くの先住民がガイドとして参加させられ、のちにブラックタウンの地名になる2人の先住民コールビーとヌランギンギーも第46連隊の兵士と共に懲罰隊に参加しました。

遠征後、二人は「South Creekの首長」として30エーカーの土地を共同で政府から受け取っています。これはオーストラリアの歴史の中ではじめて先住民族に対して入植者の政府が与えたLand Grant(土地の譲渡)になります。(大事な点はこの表現が「返却」ではなく「譲渡」ということも記憶しましょう。)

元々、その土地に住んでいた者が土地を奪われ、奪った者たちに協力して土地を取り戻した。コールビーとヌランギンギー、彼らの気持ちはとても複雑だったと思います。

現在、彼らの名前はブラックタウン市のサバーブ名 COLEBEE、ブラックタウン市にある自然保護区 Nurrangingy Reserveとして残っています。


いずれコールビーの家族についても触れたいと思います。

9/13/2021

ブラックタウン 年表

  ブラックタウンの簡易年表 


今回はブラックタウンの歴史を簡単に紹介していきます。

ブラックタウンの歴史は大きく分けると3つの歴史があります。最初のステージはオーストラリアに共通しますが、ネイティブオーストラリアンの歴史、ヨーロッパからの移民の歴史、そして現在に繋がる近代史です。



<ネイティブオーストラリアンの歴史>

現在のブラックタウン周辺にはDharugと呼ばれるネイティブオーストラリアが数千年前から居住していました。彼らは文字を持たないため詳しい歴史はわかりませんが、野生動物の狩猟や木の実や植物の採取をして生活していたようです。



<ヨーロッパからの移民の歴史>

記録としてブラックタウン周辺にヨーロッパからの移民が入ったのは1788年だそうです。1788年はシドニーいやオーストラリアの歴史にとって有名な数字で、この年の1月26日(現在のオーストラリアの日)に植民を目的としたイギリスから11隻の艦隊がシドニー湾に到着しました。そこから移民らがシドニー各地に土地を求めて移動した結果、ブラックタウン周辺にも来たということです。まだ道路や鉄道もなかった時代、ここまでの道のりは楽なものではなかったと思います。日本ではまだ江戸時代。次の100年で武士の時代から文明開化とつながっていきます。


その後、ネイティブオーストラリアンの居住があるにも関わらず、入植者は土地を取得していきました。(その後、その数は減ってもネイティブオーストラリアンは居住し続け、現在ブラックタウン在住のネイティブオーストラリアンはNSW州においても高い人口率を保っています。)


入植から60年ほど経ち、1855年シドニーセントラルからパラマタへ鉄道が走り始め、1860年にブラックタウンにも鉄道が敷かれました。その際に作られたのが「Black Town Road Station」で2021年現在の「Blacktown Station」になります。日本初の鉄道(新橋-横浜)ができたのが1872年ということなので、それよりも古くからある駅になります。



<そして現在へ>

鉄道が来たことは都市としての成長を大いに助けました。その後、確実に人口を増やしていき、記録としてブラックタウン周辺には1940年には1万5千人、そして10年も経たない1949年には2万7千人。大規模な住宅開発に加え、銀行や郵便局、学校、教会、病院、図書館また映画館などの施設ができ都市として成長をしていきました。


1973年には駅前に大型ショッピングセンターの「Westpoint」ができ、1976年には人口が15万人を超えています。


そして1979年。それまでシャイア(Shire)と呼ばれる行政区域でしたが、この年に「City」のステータスを持つことになりました。これにより都市として確立され、今日の発展につながっています。

4/01/2019

ブラックタウンの名称について

おそらく、はじめてこの町の名前を耳にした人は、

「なにか怪しい感じがする」
「差別的な意味に感じる」

と直感的に思うかもしれません。

それが正しいことかどうか、
今回はブラックタウンの名称についてお話しします。

 ブラックタウンという名称 


ブラックタウンの名前については、
Wikipediaやニュース記事などを拾いあげて確認しましたが、大きく二つの分類で表現されていました。ひとつは近い歴史の話。そして、それ以前の歴史の話。



 一般的なブラックタウンの紹介文として 


ヨーロッパからの入植者はシドニーから新しい土地を求め西へやってきました。そして、まだ土地の名前がなかったブラックタウン・エリアに1788年にたどり着き、今日まで発展してきました。

名前の由来は「BLACK TOWN ROAD(黒い町の道)」という道があり、その道付近に鉄道を走らせた際、駅名をその道からとって「BLACK TOWN ROAD STATION」としました。それから、この地域を「BLACK TOWN」と呼んだそうです。そして1862年にそれまでの「BLACK TOWN(黒い町)」から「BLACKTOWN(ブラックタウン)」と正式に呼ぶようになりました。



 より深い部分の由来について 


そもそもの「BLACK」ですが、これは「色」を指しています。
では、なんで黒なんでしょうか?


それをはっきりという人はいませんが、肌の色と想像できます。
では誰のことでしょうか?

ヨーロッパからの入植者以前にこの地域には「Darug People」と呼ばれる先住民のグループが住んでいました。Darugの人々は今日のBlacktownやPenrith、Windsor、Liverpool、Campbell Townなどの広大なエリアに住んでいたそうです。のちに土地を奪われていくのですが、ヨーロッパからの入植者が来ても、彼らはそこに定住していました。

これは想像ですが、シドニーからこの土地に向かう人たちが、この土地に行くとき「Blackのいる町へ行く」と言って使っていた道が「Black Town Road」とという道の名前になったのではないでしょうか。(2021年9月補足 資料から「Black」はネイティブオーストラリアンを収容していた施設の名称から来ているそうで、その施設がパラマタから現在のBlacktownのある土地に移ってきたそうです。今後、歴史について記事を書く際に掘り下げたいと思います。)




 名称を変更しようとしました 


実は2015年から2016年にブラックタウンの名称について議論され、ウェスタン・シドニーやウェスト・シドニー・シティ、フェアウォーターなどの新しい名前があげられました。

上述した歴史背景だけでなく、地域的にシドニーの人にいい印象を持たれていないこともあり(ブラックタウンの治安について)、市民の声を取り上げたり、議会で活発に議論されたようですが、結果としてそのままの名称「ブラックタウン」でいくことになったそうです。

この時、先住民出身の方々は過去を忘れないためにも「この名前を残すべき」といったそうです。このことからも「Black」がどこから来たことかが想像できます。


私はここに住んでまだ長くありませんが、これほど個性的な名前も珍しいと思っています。Red town Blue town Green town。。。どこかにそんな町があるかはわかりませんが、そういった町と友好関係をもってRainbow Townsとして姉妹都市を組んだり、もっと「ブラック」を強調して利用するのも面白いですよね。市政はこの名称を利用できるように頑張ってほしいです。もしこれが日本なら、「黒」を使った町おこしをやっていると思うんですが。

どう思いますか?