9/13/2021

ブラックタウン 年表

  ブラックタウンの簡易年表 


今回はブラックタウンの歴史を簡単に紹介していきます。

ブラックタウンの歴史は大きく分けると3つの歴史があります。最初のステージはオーストラリアに共通しますが、ネイティブオーストラリアンの歴史、ヨーロッパからの移民の歴史、そして現在に繋がる近代史です。



<ネイティブオーストラリアンの歴史>

現在のブラックタウン周辺にはDharugと呼ばれるネイティブオーストラリアが数千年前から居住していました。彼らは文字を持たないため詳しい歴史はわかりませんが、野生動物の狩猟や木の実や植物の採取をして生活していたようです。



<ヨーロッパからの移民の歴史>

記録としてブラックタウン周辺にヨーロッパからの移民が入ったのは1788年だそうです。1788年はシドニーいやオーストラリアの歴史にとって有名な数字で、この年の1月26日(現在のオーストラリアの日)に植民を目的としたイギリスから11隻の艦隊がシドニー湾に到着しました。そこから移民らがシドニー各地に土地を求めて移動した結果、ブラックタウン周辺にも来たということです。まだ道路や鉄道もなかった時代、ここまでの道のりは楽なものではなかったと思います。日本ではまだ江戸時代。次の100年で武士の時代から文明開化とつながっていきます。


その後、ネイティブオーストラリアンの居住があるにも関わらず、入植者は土地を取得していきました。(その後、その数は減ってもネイティブオーストラリアンは居住し続け、現在ブラックタウン在住のネイティブオーストラリアンはNSW州においても高い人口率を保っています。)


入植から60年ほど経ち、1855年シドニーセントラルからパラマタへ鉄道が走り始め、1860年にブラックタウンにも鉄道が敷かれました。その際に作られたのが「Black Town Road Station」で2021年現在の「Blacktown Station」になります。日本初の鉄道(新橋-横浜)ができたのが1872年ということなので、それよりも古くからある駅になります。



<そして現在へ>

鉄道が来たことは都市としての成長を大いに助けました。その後、確実に人口を増やしていき、記録としてブラックタウン周辺には1940年には1万5千人、そして10年も経たない1949年には2万7千人。大規模な住宅開発に加え、銀行や郵便局、学校、教会、病院、図書館また映画館などの施設ができ都市として成長をしていきました。


1973年には駅前に大型ショッピングセンターの「Westpoint」ができ、1976年には人口が15万人を超えています。


そして1979年。それまでシャイア(Shire)と呼ばれる行政区域でしたが、この年に「City」のステータスを持つことになりました。これにより都市として確立され、今日の発展につながっています。

Blacktown Shopping then and now (youtube)


参考資料:
Blacktown.nsw.gov.au からHistory of Blacktown<リンク
Blacktown City CouncilからBecoming a city<リンク
Blacktownaustralia.com.au I love BlacktownからHistory<リンク