ブラックタウンの主要道路、今回はブラックタウンからリッチモンドへつながる道の
リッチモンドロード
リッチモンドロードはその名前の通り、ブラックタウンの先、さらに西にある町Richmondに向かう25km弱の道です。Richmond周辺ではこの道は逆に「Blacktown Road」と呼称が代わります。
リッチモンドロードについて
この道を大きく分けると「ブラックタウンからM7まで」「M7から市境まで」「市境からWindsor Downまで」「Windsor DownからRichmondまで」となります。
2015年頃からMarsden Parkの住宅開発に伴い、ブラックタウン市内では「ブラックタウンからM7高速道路まで」の区間で複数車線だった道路が、その先も複数車線として道路整備が行われました。それ以前の片側1車線、さらに砂利が混ざったような古い道路が、今では本当に素晴らしく道路が舗装され時速80kmも出せる「一般道」になっています。
Hawkesbury市側ではまだ片側1車線区間が続き、ブラックタウン市にもかつてあった「素朴な田舎道」を走ることができます。この区間の面白いところは広い牧草地やクリーク(小川)、ブッシュを道路の両側にみることができ、牧草地には放牧された牛や馬、また危険ではありますが、道路上や道路わきでカンガルーやワラビーを見ることもあります。
Google Streetview - Richmond Road
リッチモンドロードの歴史
まずリッチモンドロードの由来なんですが、それは単純に「Richmondに続く道」という理由です。では、Richmondはどこから来たのでしょうか?
Richimondの名称はヨーロッパ人の入植した1788年以降から続く有史の中でも古く、1789年に第3次先遣隊がHawkesburyの地域を訪れたときにはもう「Richimond Hill」と記していたそうです。
「Richmond」はオーストラリア史でも重要な人物Arthur Phillip提督に命名されています。当時のイギリスのPitt政権時代の兵器総長だったCharles Lennox - Duke of Richmond(リッチモンド公爵)への敬意から付けられました。ちなみに周辺地域にPitt Townがありますが、こちらは当時のイギリス議会の首相William Pitt the Youngerから付けられています。
入植当初は現在のOld Windsor Roadを経由してRichmondへ向かっていましたが、1819年にRichmondへの2つ目の道として現在のProspectからRichmondへの道が作られ、これが今日のRichmond Roadに代わっていきます。
Charles Lennox - 3rd Duke of Richmond By George Romney Link
リッチモンドロードの今後
リッチモンドロード沿線には新しい住宅地が多く建設されています。現在の風景を壊すことにもなりますが、まだ牧草地やブッシュなどの広い土地も残っているため、ここもいづれは住宅地になっていくのかと思います。
隣の市ではありますがRichmondもNorth Richmondを中心に新しい住宅地を作っていて、リッチモンドロードの利用率はさらに大きくなると予想されています。またM7の外側に環状の高速道路を造る計画もされており、この道も主要幹線になっていくことと思います。まだ素朴な風景が残る間に一度利用してみてください。
引用欄
- Wikipedia - Richmond Road <LINK>
- Migration Heritage Centre - The Age of Macquarie <LINK>
- Hawkesbury Council - The Hawkesbury - A Thematic History <LINK>
- Artefact / Road and Maritime Services - Richmond Rd Upgrade, Elara Blv to Clydesdale <LINK>
- Historical Australian Towns - Richmond <LINK>