10/23/2021

ブラックタウンのビルマ・ミャンマー

 

   バーミーズ  コミュニティー 

現在、民主化や軍政などでニュースに取り上げられることが多い「ミャンマー(Myanmar)」。さすがに最近は「ビルマ(Burma)」という表現が少なくなっていますが、日本では「ビルマ」という国名で長く呼ばれていました。

厳密にはどちらも未だ使われている表現のようですが、それをミャンマー出身の友人に聞いたところ、彼らは「国名はミャンマー」で「言語や人称をバーミーズ(ビルマ語・ビルマ人)」と説明してくれました。

友達のビルマ人から聞いた話を含めて、今回、「バーミーズ(Burmese)」を取り上げたいと思います。



バーミーズについて

おそらくオーストラリア全体で見てもミャンマー出身者は少ないと思いますが、そんな状況で同郷出身者のコミュニティーを立ち上げた組織がありました。「Burmese Advisory Committee」。その組織が作成した「Community Directory People From Burma/Myanmar」から説明をしたいと思います。


まずオーストラリア全体で見たバーミーズですが、2001年のCensusによると最も多いのは西オーストラリア州でおよそ6300人。次にNSW州の2700人です。20年前の資料なので現在はもっと多くの移民が住んでいるかと思いますが、日本から永住で来た人が2018年の調査で5万8千人なので、日系コミュニティーより小さいコミュニティーだと思います。

この資料ではミャンマーからの移民向けの情報(ただし英語表記)やミャンマーに関する一般情報、ビルマ語の紹介などが記載されています。個人的に興味深かかったのは、「習慣の違い」について書かれている所(50ページ目)で、「怒ったりストレスを感じると感情的になる」とか、「腹が立つと舌打ちをする」、「時間を守るのが難しい」「体に気やすく触れるのは侮辱行為」など、すべての人がそうでないにしても、とても想像しやすく親しみやすい話が書かれていました。

下にリンクを付けるのでご興味があれば読んでみてください。


オーストラリアとミャンマーの関係

ミャンマーは第二次世界大戦以降にイギリスから独立した国です。

以前、インド系コミュニティーでもお話ししましたが、「日の沈まない国」として知られたイギリス、その支配は東南アジアにまで及んでいて、ミャンマーは19世紀初頭からイギリスと3度戦い、最終的にイギリス領インドの一部の州として組み込まれてしまいました。

なんと最初の戦いはビルマが現在のバングラディッシュ(当時イギリス領)に侵攻したのがきっかけだそうです。当時の王朝が領土拡大を狙ったためですが、産業革命により圧倒的な戦力のあったイギリスに戦いを挑む形になりました。

その後、一時期日本軍の占領期もありましたが、戦後は再びイギリスの統治下に置かれ、およそ130年の植民地の歴史を経て1948年に独立しました。




この支配期にイギリス人との混血児(Anglo-Burmese)が生まれています。Anglo-Burmeseと呼ばれた人たちは、イギリスの植民地支配時代、混血ということで冷遇されたわけではなく、イギリス人の次に地位の高い階層だったそうです。

イギリスからの独立後、新しい政府下の生活・環境また政治的な圧力など、一部の人たちは国外へ流れていきました。

オーストラリアには、主にAnglo-Burmeseらミャンマーからの移民が、1947-1959の間におよそ3500人、1965-1972で2500人が移り住んでいます。資料によれば、当時、旅費が比較的安く、仕事も手に入れやすい、また気候がミャンマーに似ていたという理由から多くの人がWA(Western Australia)州に移り住んだとあります。同時期に仏教僧や帰国を希望しない学生たちもオーストラリアに移ったそうです。

British Indian Empire

ジョン・ジョージ・バーソロミューパブリック・ドメイン, リンクによる


ブラックタウンのコミュニティ

今回、バーミーズ・コミュニティを選んだ理由ですが、バーミーズの友人が言っていた「ブラックタウンにはバーミーズが多い」という言葉からです。

その言葉を信じて「Burmese」「Blacktown」などの言葉で検索していき、「Community Direcotry People From Burma/Myanmar」の資料を見つけました。

この資料によるとシドニーにおいては、Auburnに次いでバーミーズが多い都市がブラックタウンとなっています。2001年のCensusからの情報では313人。決して多い人口ではありませんが、オーストラリア全体で考えれば「同じ国出身者が見つけやすい」と感じるのでしょう。

意識的に私の周りのバーミーズを思い浮かべると、かかりつけの歯医者さんやメディカルセンターのGPにバーミーズの方がいます。フィリピン系のひとほど強いフレンドリーさはありませんが、同じくらいに親しみやすく、個人的には「とてもあたりが柔らかい」人たちです。印象的には「話をするのが好きな人」たちばかりですが、「アグレッシブな話し方」ではありません。意味わかりますか?

ブラックタウンには知っているところで2軒のバーミーズ・レストランがあります。シドニー全体で見渡してもバーミーズ・レストランは見つけづらいかもしれませんが、それが2軒!(ありましたが、いまは一軒。。。Blacktown駅近辺にあったお店はコロナの影響で閉店してしまったようです。)


Sun's Burmese Kitchen レストラン

検索ワードで「Burmese」「Restaurant」「Sydney」を調べると、「Sun's Burmese Kitchen」が上位の結果で現れると思います。

食べログでのレストラン紹介の記事がたくさん上がる中、面白い記事を見つけました。ジャーナリズムの仕事でミャンマーに滞在歴のある記者がこのレストランについて書いたものです。レストランオーナーの経歴やお店を開く至った経緯など紹介しています。

また記事は2017年に書かれていますが、ミャンマーの将来を心配する記者の気持ちも伺えます。




そして彼女(記者)のお気に入りの料理 Dan Bauk。まだ頼んだことはなかったので知らなかったんですが、よく見るとブリヤーニです。歴史的・地理的にもインドの影響を受けていたのだと思います。


いまは政治的な問題で国外からの投資が進んでいませんが、数年前までは「東南アジア最後のフロンティア」と称されるほど急速な発展が見込まれ、多くの海外資本が流れていました。マレーシアにいる友人はミャンマー都市部のカフェの急増で、コーヒーマシーンを売りまくっていましたし、ブラックタウンに住む友人も帰国して起業を考えていたようですが、今は行く末を見守っている状態です。

今回は小さいコミュニティの紹介でしたが、

ブラックタウンには確かに様々な出身者が多いです。私にとっては、ブータン、北マケドニア、シーラレオネ、アフガニスタン、ハンガリー、コロンビア、シリアなどの国の出身者と初めて会うことができたのも、このブラックタウンに住んでからです。おそらくブータン出身者も少ないと思いますが、近所に3家族いるのを知っています。

世界の縮図ブラックタウンへいつかおいで下さい。


引用文献

Community Direcotry People From Burma/Myanmar

Wikipedia - 日系オーストラリア人

Wikipedia - イギリス統治下のビルマ

The Point Magazine - A little bit of Burma in Blacktown