アボリジナル コミュニティー
これまでブラックタウンに住むフィリピン、インド系、アフリカ系のお話をしましたが今回はオーストラリア先住民のアボリジナル コミュニティーについてお話しします。
<アボリジナル系の人たちの歴史>
コミュニティーについて話す前に、いくらか歴史を知っておいた方が面白いと思います。
これはCity Councilのホームページにあった情報ですが、歴史が好きな私には非常に読み応えのある内容でした。いつかここでもどうやって人類がオーストラリア大陸に来たのかとか、日本人の祖先とはどれくらい関係があるのかとかを触れられたらと思いますが、今回はこのCouncilの話を少しまとめてお伝えします。
ブラックタウン周辺には古くから先住民のDarug族が住んでおり、小川やビラボン(大きな水たまり)などの水辺近くにキャンプし、食べ物を求めて季節ごとに移動をしていました。ただブラックタウン周辺と言っても北は現在のWisemans Ferry、西はBlue Mountain、南はNepean River、東はBotany Bayとほぼシドニー全域に分布していたようですが、特にブラックタウンが位置するCumberland Plain(カンバーランド平野)が主要なエリアだったようです。
カンバーランド平野には何千年もの彼らの遺物(石器や貝塚、埋葬の跡など)が埋まっていると研究者は考えていて、実際発見されているものもありますが、近年の都市開発によりそれらの物理的な遺物が発見前に壊されてしまっているそうです。
<ブラックタウンのコミュニティ>
ブラックタウンには、NSW州内ではCentral Coastに次いで多い9530人(Census_2016)のアボリジニ・トーレス海峡諸島系の人たちが住んでいます。この大きなコミュニティーを支えるため、市にはアボリジナル系の人たちの仕事や生活、精神的なサポートをする施設が多くあります。これらの施設は彼らだけのためではなく、地域住民がより身近に彼らの文化を知ることができるようにもなっています。
ブラックタウンはシドニーの他の地域よりバランスよくいろんな背景の人がいるため、アボリジナル系の人たちとも知り合う機会があります。ただし、顔を見ただけではわからないほど混血の人もいるので親しくなるまではアボリジナル系だと気づかないほうが多いです。
歴史的にブラックタウン周辺にはDarug族が先住していたこともあり、Darug族に対して「この土地の最初の管理者」としてBlacktown Cityから敬意と謝辞が述べられています。このような背景もありブラックタウンはアボリジナル・コミュニティとうまく関係を気づけているのではと思います。
またブラックタウンのBugarribeeにあるSydney Zoo<LINK>では、アボリジナル文化を紹介する施設があり、歴史や文化、音楽などを紹介してくれます。以前、Sydney Zooに行ったおり聞いた話は「のどが渇いたときは、ある草(名前を覚えてません)をむしりとり、その根から水分を吸う」ということでした。
下の動画はCOVID-19情報についてDarugで説明しているものです。こんな動画作るのもBlacktownならではかもしれませんね。
以前「ブラックタウンの名称」でもお話しましたが、
Blacktown市は名称を変えようとしたことがありました。しかしその際、ブラックタウン在住の先住民の方たちが「勝手に名称をつけて、いまになってその名称を変えようとするな」とこの名前を残すことを強く希望しました。
私個人の考えとして、これほど「印象的な名前」はないと思っていますし、いい意味で生まれた言葉でないとしても、この「Black」という「色」をいい意味に変えていくような努力がもっと必要だと感じました。
絵の具も多くの色を混ぜれば「黒」になります。
文化や人種が多様になるほど「黒」という色がもっと美しくなるならば、ブラックタウンはその名前にふさわしい土地になるのではないでしょうか。
参考文献
- Blacktown City Council - Aboriginal Communities<LINK>
- Blacktown City Council - Aboriginal Connections<LINK>
- The Guardian - The settlers gave this place the name Blacktown. Now should they take it away? - 14OCT2015<LINK>